記事一覧

本サイトの全記事です。章ごとに並べています。

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年譜

  1. 小栗上野介忠順 年譜

    文政十年(1827)の誕生から、慶応四年(1868)閏四月六日の最期、そして明治以後に続く顕彰まで。分かっていることを年代順に並べました。

  2. 慶応四年 ― 罷免から水沼河原まで

    百日あまりの出来事です。屋敷を建て、用水を引き、学校を構想していた人が、取り調べのないまま斬られるまで。

  3. 後年の顕彰 ― 名誉回復のあゆみ

    教科書からは消されました。それでも名は消えませんでした。恩を受けた人たちが、それぞれのやり方で返していきます。

  4. 生いたちと結婚 ― 幕臣となるまで

    文政十年(1827)の誕生から、安政二年(1855)の家督相続まで。幕臣として立つまでの二十八年間を、十本の記事でたどります。

  5. 誕生と生家、小栗家の家系

    文政十年(1827)、江戸駿河台の屋敷に生まれました。生家である小栗家の家系を、略系図とともにたどります。

  6. 始祖・小栗又一の武功伝説 ― 姉川か、長篠か

    小栗家の始祖の武功について、資料によって「姉川合戦」と「長篠合戦」の二つの異なる伝えが残っています。

  7. 家紋「丸に立浪」の由来

    円の中に立ち上がる波を図案化した「丸に立浪」。小栗家の家紋として、系図表に記されているものです。

  8. 安積艮斎の私塾と英才たちの交遊

    屋敷内で受けた漢学の手ほどきは、のちに幕末を彩る多くの人材と机を並べる経験でもありました。

  9. あばたと近眼、実像の小栗少年

    体は決して丈夫でなかったと伝わる少年時代。それでも周囲を統率する気の強さがあったといいます。

  10. 剣術・柔術・砲術の修行と小栗流

    男谷精一郎門下で直心影流を学んだほか、柔術・砲術も一通り修めました。家伝の小栗流についても紹介します。

  11. 14歳の議論、建部家で見せた度胸

    十四歳の忠順が、建部政醇の屋敷で年長者と対等にやり合い、評判になったと伝わる逸話です。

  12. 御番入りと初出仕

    十七歳での初登城から、二十一歳での御番入りまで。旗本としての公的な勤めが始まります。

  13. 建部道子との結婚

    嘉永年間、建部政醇の娘・道子を妻に迎えました。結婚後に記された家計簿は、いまも群馬県の重要文化財です。

  14. 父・忠高の死と家督相続

    安政二年(1855)、父・忠高の死をうけて家督を相続。満二十八歳で、小栗家十二代の当主となりました。

  15. 幕臣としての台頭・遣米使節

    安政六年の抜擢から万延元年の帰国まで。日本人として初めて世界を一周した一年余りを、十三本の記事でたどります。

  16. 遣米使節への抜擢の背景

    目付就任からわずか一日での随行拝命。井伊直弼による人選と伝わる背景と、家名存続のための縁組をたどります。

  17. 品川出帆、総勢77人の船出

    万延元年正月十八日、使節団総勢七十七人が品川を出帆。本隊が乗ったポーハタン号と、同行した咸臨丸を紹介します。

  18. 咸臨丸の「神話」を検証する

    使節団の主役はポーハタン号に乗った本隊。咸臨丸はあくまで護衛・訓練を兼ねた同行艦だったという事実関係を整理します。

  19. ハワイ王国での表敬訪問

    二月十四日、独立国だったハワイ王国に寄港。国王夫妻への謁見は、使節団にとって最初の異国宮廷体験でした。

  20. サンフランシスコ上陸

    三月九日、サンフランシスコに上陸。大歓迎のなかで、一行は絨毯やシャンパンに目を丸くしました。

  21. パナマ地峡を鉄道で越える

    大陸横断鉄道がまだない時代、パナマ地峡を蒸気機関車で横断。日本人による最初期の鉄道体験のひとつです。

  22. ワシントンでの大統領謁見

    五月十七日、ホワイトハウスでブキャナン大統領に国書を奉呈。五月二十二日には批准書交換が行われました。

  23. 幣制交渉、フィラデルフィア造幣局の天秤ばかり事件

    小栗の秘命は通貨交換比率の交渉。造幣局で金貨を天秤にかけ、通用価値で比べるべきだと主張して譲りませんでした。

  24. ニューヨーク大歓迎と「トミー・ポルカ」

    ニューヨークでは軍事パレードと大舞踏晩餐会。人気者になった従者トミーにちなむ逸話も伝わります。

  25. 従者トミーの人気と誤報事件

    人気者だった従者トミーの発言が誤って伝わり、日本には「切腹した」という誤報が広まったと伝わります。

  26. 米国人が見た「一番できる日本人」

    新聞や随行士官の日記に残るとされる、小栗への高い評価。使節団のなかでも異彩を放った人物像をたどります。

  27. 大西洋・喜望峰を回って帰国

    大西洋・喜望峰・ジャワ・香港・台湾を経て帰国。日本人として初めて世界を一周した使節団となりました。

  28. 桜田門外の変を知らぬままの帰国

    渡米中に起きていた桜田門外の変を知らぬまま帰国。無言の出迎えの背景を伝わる記録からたどります。

  29. 対露交渉と幕政改革者として

    文久元年の対馬事件から、文久三年の辞任まで。役職を変えながら対露外交と幕府陸軍の改革に取り組んだ、二年あまりの記録です。

  30. 対馬事件、ロシア軍艦占拠と一触即発の交渉

    文久元年(1861)、ロシア軍艦が対馬を占拠した事件。外国奉行だった小栗が現地に赴き、交渉にあたりました。

  31. 「我を射殺して可也」の胆力

    対馬での交渉で見せたと伝わる、身を賭した気迫のエピソードです。

  32. 対馬事件が変えた小栗の考え

    対馬での経験が、のちの財政・技術改革路線の原点になったという見方があります。

  33. 頻繁な人事異動、9年で18回

    文久二年、わずか十カ月ほどの間に小栗は五つの役職を渡り歩きました。

  34. 歩兵奉行としての洋式陸軍改革

    幕府陸軍を西洋式に組み替える、軍制の根本にかかわる改革でした。

  35. 生麦事件の余波と外交処理

    イギリス人殺傷事件をめぐる外交処理に、対馬事件の経験が生かされたとされます。

  36. 「上野介」という名を選んだ理由

    忠臣蔵の吉良上野介を連想させる名を、小栗はあえて選んだと伝わります。

  37. 一橋慶喜への加増反対と辞任

    筋を通して加増案を退けたのち、小栗は自ら身を引きました。

  38. 勝海舟との対照的な運命の分かれ道

    同じ幕府の実務家でありながら、対照的な道を歩んだ二人です。

  39. 大政奉還と小栗の反対論

    諸藩連合ではなく、郡県制と大統領制を組み合わせた国家像を思い描いていたと伝わる小栗。大政奉還の裏側にあった、もう一つの構想です。

  40. 江戸城大評議、ただ一人の抗戦論

    鳥羽・伏見の敗戦のあと、恭順か抗戦かで揺れた幕閣。小栗はこの場で最後まで抗戦を説いたと伝わります。

  41. 幻の箱根殲滅作戦

    地の利と幕府海軍力を組み合わせた作戦構想があったと伝わります。採用されないまま、小栗は罷免されました。

  42. 権田村土着の願い出

    役を解かれた小栗が選んだのは、知行地・権田村での帰農でした。正月から三月にかけての経緯です。

  43. 観音山の水路・宅地開発、学校を作ろうとした夢

    屋敷を建て、用水を引き、学校を構想する。武装して立てこもるのではなく、村のために動いた二か月間でした。

  44. 三ノ倉の博徒襲撃を撃退した最後の指揮

    数千とも伝わる集団の襲撃を、百余名で三方に分けて防いだ戦い。三ノ倉戦争・権田陣屋戦争とも呼ばれます。

  45. 妻・道子の避難行、会津への道

    草刈籠に身を隠し、村人たちに守られて会津を目指した道子。険しい道のりの果てに、新しい命が生まれます。

  46. 出頭と拘束、追討令への対応

    「追討令のような事実は全くない」との報告があったにもかかわらず、討ち入りは強行されました。

  47. 閏四月六日、水沼河原の最期

    烏川の水沼河原で、家臣三名とともに斬首されました。戦わずして斬られた、幕閣要職経験者ただ一人の例です。

  48. 養嗣子・又一の最期

    父・忠順が斬られた翌日、閏四月七日。次代を担うはずだった又一もまた、高崎で命を落としました。

  49. 忠義の若者、主君の首を守った話

    用人の子・武笠銀介、当時十八歳。危険を顧みず、主君の首級を守ろうとしたと伝わります。

  50. 館林、首級奪還の一夜

    処刑から一年近くを経て、なお恩義を忘れなかった人々がいました。首級を権田へ取り戻した顛末です。

  51. 会津で生まれた「小栗家唯一の血統」クニ子

    父も兄も失われたなかで生まれた一人の命が、小栗家の血筋を後世に伝えることになりました。

  52. 烏川で散った護衛たち

    権田村での二か月あまり、主君のそばを離れず、最後は運命をともにした三名の家臣がいました。

  53. 会津へ従った十七人

    名簿に残っているのは、ほとんどが名前だけの人たちです。

  54. 明治初期の沈黙の時代

    維新後、小栗上野介の名は長く公の場から消えていました。名誉回復までの半世紀を振り返ります。

  55. 大正の名誉回復、横須賀開港50年

    処刑から四十七年後、初めて公的な組織の名で小栗の功績が公式に讃えられました。

  56. 蜷川新と「仁義併存」の碑文

    小栗の妻・道子の甥にあたる国際法学者が、生涯をかけて筆を執り続けました。

  57. 昭和の顕彰運動、招魂碑と胸像

    小栗家の始祖の菩提所・普門院にも、昭和初期に大きな顕彰の動きが及びました。

  58. 皇后陛下と一枚の写真

    宮中にまで届いていたと伝わる、断片的ながら興味深い逸話を紹介します。

  59. 総理が参拝した日

    現職の総理大臣が、みずから普門院に足を運び、小栗の功績を語りました。

  60. 戦後初の国際儀礼、講和後の胸像除幕式

    講和条約発効後、国際儀礼を受けた戦後初の人物が小栗上野介だったと伝わります。

事績

  1. 小栗上野介の事績

    横須賀製鉄所、遣米使節での通貨交渉、日本で最初の株式会社。八年のあいだに何を残したのかを、事績ごとに整理しました。

  2. 横須賀製鉄所 ― 日本の近代工業のはじまり

    慶応期に築かれたドライドックが、いまも現役で使われています。百六十年近く前の設備が動き続けている ― この一事が、この仕事の性格を表しています。

  3. 兵庫商社と築地ホテル館 ― 株式会社のはじまり

    出資を募って事業を起こし、利益を配当する。いまでいう株式会社の考え方を日本に持ち込んだのも、小栗でした。

  4. ワシントン海軍工廠を見た男

    万延元年、目付として渡米した小栗が見たものは、艦船そのものより工廠の仕組みそのものでした。

  5. 横浜製鉄所 ― 横須賀より先にできた工場

    船を造る工場を、造るための工場がありました。

  6. 佐賀藩の眠っていた機械

    鎌倉ヶ谷で頓挫した佐賀藩の造船計画。人材不足で行き詰まった機械一式が、幕府に渡っていました。

  7. 栗本鋤雲との友情、翔鶴修理の逸話

    道端での何気ない立ち話が、横須賀製鉄所という大事業の出発点になったと伝わります。

  8. なぜフランスを選んだか

    イギリス・アメリカ・オランダとの比較の末、フランスとの提携という結論にたどり着きました。

  9. 「ドックの名も知らぬ」栗本の驚き

    国産ドックを熱心に説く小栗と、その言葉すら知らなかった栗本。二人のやり取りが伝わっています。

  10. 不潔な軍艦を掃除させた奇策

    外国艦長の視察という機会をとらえ、船内の掃除と規律を一気に引き締めさせた逸話です。

  11. フランス語学所の開校

    横須賀製鉄所の運営に必要な人材を育てるため、横浜にフランス語を教える学校が開かれました。

  12. 造船技術者を育てた企業内教育制度

    横須賀製鉄所は、ものを作る技術と、人を育てる仕組みを同時に日本へ持ち込んだ場所でした。

  13. 明治天皇の行幸と勅語

    幕府が作った施設を、新しい政権の頂点に立つ天皇がみずから訪れて評価しました。

  14. 国産初の軍艦「清輝」進水

    幕末に始まった構想が、十年をかけて一隻の艦として実を結びました。

  15. 日本海海戦とのつながり、対馬の因縁

    横須賀で育った日本の海軍力が、四十年余り前と同じ海域でロシア艦隊を破りました。

  16. 東郷平八郎が贈った言葉

    艦隊を率いて勝利をつかんだ提督が、その源流に思いを致し、言葉を残しました。

  17. 銅像は最初ウェルニーだけの予定だった

    招いた技師の像だけを建てるはずが、工廠長の異議により発案者の像が先に建ちました。

  18. 富岡製糸場への技術伝播

    横須賀で培われた技術と人材が、まったく別の産業である製糸業の近代化を支えました。

  19. 幕府が構想した幻の中央銀行

    江戸―京坂間の年間為替取引高、およそ二千万両。小栗が幕府に建議した、もう一つの経済構想です。

  20. 三野村利左衛門との出会い

    無学文盲だが、人物を見る目だけは並外れていた大男。小栗屋敷に出入りしていた一人の渡り仲間の話です。

  21. 三井を救った男の大出世

    大名貸しの焦げつきで揺れた三井を、一つの策が救います。その背後にあった小栗の後ろ盾。

  22. 日本初の兌換紙幣、江戸横浜通用札

    慶応三年八月、日本で初めての兌換紙幣が発行されます。実務を担ったのは三井御用所でした。

  23. 日本最初の株式会社、兵庫商社の設立

    身分を問わず出資でき、配当を受け、払い戻せる。兵庫商社の組織の中身を見ていきます。

  24. 坂本龍馬の海援隊との対比

    同じ慶応三年四月。立場は正反対でも、よく似た発想にたどり着いていた二人がいました。

  25. 幻の日仏合弁商社構想

    兵庫商社に先立つこと二年近く。フランスとの合弁による、さらに大がかりな商社構想がありました。

  26. 幻の600万ドル借款

    六百万ドルの外債交渉は、まとまらないまま終わりました。この一件をめぐる、もう一つの見方も。

  27. 新聞創刊計画の頓挫

    福澤諭吉に新聞を発行させる。そんな構想が幕閣に提出され、そして却下されていました。

  28. 滝野川の幻の火薬工場

    武田斐三郎、澤太郎左衛門との共同で、瀧野川に日本初の洋式火薬製造所を計画していました。

ゆかりの人々

  1. 小栗卍教 ― 側室の子と伝わる僧

    東善寺十五代住職、のち全透院二十五世。幼名は菊之助。小栗上野介忠順が斬られて葬られた寺を、その十年後に継いだ僧です。家伝は、忠順と側室ウタの子と伝えています。

  2. 『小栗卍教伝』の系図

    『小栗卍教伝』の四頁と五頁に記された系図から抜き出したものです。

  3. 卍教のきょうだい ― シゲ・エイ・芳蔵

    『小栗卍教伝』は、卍教のほかに三人のきょうだいを挙げています。士族に嫁いだ長女シゲ、市川家を継いだ三男の芳蔵、そして名だけが残る二男のエイ。

  4. ゆかりの人々

    小栗上野介の生涯にかかわった十人。友となった人、道を違えた人、最期の場に立ち会った人。それぞれの生涯を紹介します。

  5. 栗本鋤雲 ― 蝦夷から幕閣、生涯の友

    蝦夷地の実務から幕閣に転じ、横須賀製鉄所の建設を小栗とともに支えた盟友。維新後は言論の世界に生きました。

  6. 勝海舟 ― 剣友にして幕末最大の政敵

    同じ剣術の師系に学びながら、政治の場ではしばしば道を違えた同時代の幕臣。その評価は今も分かれています。

  7. レオンス・ヴェルニー ― 横須賀に生涯を捧げた技師

    エコール・ポリテクニック出身のフランス海軍技師。横須賀製鉄所の技師長として、日本の近代造船技術の基礎を築きました。

  8. 木村摂津守 ― 私財を投じた提督

    咸臨丸の総督として太平洋を渡った幕臣。私財を投じて航海を支えたと伝わります。

  9. 福澤諭吉と榎本武揚 ― 恩義の物語

    咸臨丸に乗り組んだ福澤諭吉が、維新後に旧幕臣・榎本武揚の助命に関わったという恩義の逸話です。

  10. 原保太郎 ― 斬首を命じた男のその後

    小栗上野介の処刑にかかわったとされる、東山道先鋒総督府の監軍。維新後の歩みを紹介します。

  11. 武笠銀介 ― 主君の首を守ったとされる若者

    小栗家の用人の子として、十八歳のときに主君の首級を密かに菩提寺へ運んだという、忠義の逸話が伝わります。

  12. 諏訪恵伯 ― 鍵を預かり、少年の命を乞うた住職

    小栗上野介が最後の二か月を過ごした東善寺の、十四代住職。小栗家の金庫の鍵を預かっていたため拷問を受け、斬られかけた少年の命を乞いました。

  13. 誉田三左衛門 ― 主君の首を迎えに行った男

    権田村の酒造家で組頭。小栗の家族を会津へ逃し、処刑を見届け、館林まで首級を迎えに行きました。

  14. 池田かよ ― 権田の春を見た少女

    慶応四年春、十七歳で東善寺へ通った娘。七十五年後の聞き書きが、小栗一家の姿を今日に伝えています。

  15. 池田伝三郎 ― 会津へ導き、五稜郭で戦った男

    角力取りの子から小栗の歩兵へ。夫人一行の先導役をつとめ、五稜郭で戦い、京都で巡査になりました。

  16. 大隈重信 ― 遺された娘を託した男

    会津で生まれた小栗の娘・クニ子を後年引き取り、小栗家の存続に力を尽くしたと伝わります。

  17. 徳富蘇峰と岡田啓介 ― 昭和の参拝者たち

    昭和期、小栗の菩提寺を訪ねたことが記録に残る、言論人と時の首相です。

  18. 立石斧次郎「トミー」― 全米を熱狂させた従者

    遣米使節に従者として随行し、若く陽気な人柄でアメリカ中の人気者になったと伝わる人物です。

ゆかりの地

  1. ゆかりの地

    群馬(最後の日々と墓所)、横須賀(仕事の跡)、東京とその周辺(生まれ育った場所と先祖の墓所)。場所ごとの記事への入口です。

  2. 東善寺 ― 小栗上野介が眠る寺

    群馬県高崎市倉渕町権田。小栗上野介が最後の二か月を過ごし、斬られて葬られた寺です。境内に墓所と碑があります。

  3. 水沼河原 ― 罪なくして此所に斬らる

    慶応四年閏四月六日、小栗上野介が斬られた烏川の河原。昭和七年に建った碑が、そこが処刑の地であることを伝えています。

  4. 観音山の屋敷跡と小高用水

    東善寺から一キロほど下手の台地。小栗が新しい暮らしのために建てていた屋敷の跡です。用水はいまも使われています。

  5. 横須賀を訪ねる ― 仕事の跡

    小栗の仕事がそのまま残っている土地です。胸像、スチームハンマー、そして百五十年以上動き続けているドック。

  6. 普門院 ― 小栗家始祖の菩提所

    さいたま市大宮区。小栗家の始祖・忠政の菩提所であり、昭和の顕彰が集まった寺です。

  7. 神田駿河台と築地 ― 東京に残る跡

    小栗家が代々住んだ屋敷、艮斎の塾、築地ホテル館、そして世界一周の出発点。

  8. 保善寺 ― 江戸の菩提寺

    中野区。もと牛込にあった曹洞宗の寺で、幕末以前の小栗家の歴代はここに眠ります。

  9. 雑司ヶ谷霊園の「小栗家累代之墓」

    東京に、忠順の名が刻まれたもう一つの墓があります。

豆知識

  1. 豆知識と周辺の話

    年譜や事績では書ききれなかった、小栗上野介にまつわる小さな話を集めました。

  2. 人物エピソード

    遣米使節での見聞や随行者の記録に残る、人物にまつわる小さな逸話を集めました。

  3. アラビア馬と蚕卵紙の物々交換外交

    幕末の日仏交易には、蚕の卵とアラビア馬という意外な組み合わせの物々交換が伝わっています。

  4. ペリー提督の家を訪ねた日本人、愛犬の逸話

    開国を迫った提督の家を、使節団が訪ねていたという記録が残っています。

  5. 世界最大の船、グレート・イースタン号

    太平洋を渡ってきた一行が、ニューヨークで目にした桁違いの巨船とは。

  6. 米国人が見た「一番できる日本人」

    「オグロ・ブンゴ・ノカミ」――アメリカの新聞はどう報じたのでしょうか。

  7. 勝海舟の船酔いと旗印事件

    後年の華々しい評価とは異なる、同時代人が見た勝海舟の姿があります。

  8. 盲学校・ろう学校、福祉国家アメリカへの驚き

    使節団の見学先は、軍艦や工廠だけではありませんでした。

  9. 暮らしと家計簿

    家計簿や日記の細部からは、幕臣としての激務の合間の暮らしが見えてきます。

  10. 家計簿に見るうなぎ好き

    給料日のごちそうは、うなぎだったようです。

  11. 正月の風物詩、猿廻しへの祝儀

    幕末の激動の中でも、正月には変わらぬ作法がありました。

  12. 側室はいたのか ― 家計簿の「於綾」と、権田の「おうた」

    毎月きちんと支払われた女性と、処刑の年に権田で見られた女性。

  13. 妻の帯祝い、権田村にて

    国の行く末が定まらないなかで、家庭には新しい命を迎える準備がありました。

  14. 歳末ボーナス、身分別支給の作法

    大政奉還直後の年の瀬にも、家としての秩序ある慣例が続いていました。

  15. フランス軍事顧問の足しげい訪問

    洋式軍制改革を支えた交流は、私邸にも及んでいました。

  16. 地震の借金、10年がかりの返済

    地震という災害の影響は、家計簿の上に長く尾を引いていました。

  17. 遣米使節手当で大黒字になった年の家計簿

    世界一周の旅は、家計にも思わぬ潤いをもたらしました。

  18. 文学と伝承の中の小栗上野介

    小説や芸能作品に描かれた小栗上野介の姿、家に伝わる言い伝えの数々を、五本の記事で紹介します。

  19. 島崎藤村『夜明け前』に描かれた小栗上野介

    幕末から明治を描いた長編小説に登場する幕府の要人たち。創作作品と史実の関係について考えます。

  20. 中里介山『大菩薩峠』に描かれた「再来」

    未完の大長編に描かれたと伝わる小栗上野介の面影と、著者と顕彰運動をめぐる不思議な縁を紹介します。

  21. 小栗流剣術と坂本龍馬の意外な接点

    小栗家に伝わる家伝の武術「小栗流」と、坂本龍馬が学んだ流派をめぐる興味深い言い伝えです。

  22. 安積艮斎塾の同門たち

    幕臣も倒幕派も机を並べた安積艮斎の私塾。門人帳に名を残す多彩な人材を紹介します。

  23. 薩摩琵琶「小栗上州公」の歌

    遭難八十八年忌にあわせて作られたと伝わる薩摩琵琶の歌。顕彰運動が生んだ文芸作品を紹介します。

  24. 都市伝説とこぼれ話

    赤城山の埋蔵金伝説から記念館構想まで、史実と伝承の境目にある話題を四本の記事で紹介します。

  25. 赤城山の埋蔵金伝説を追う

    幕府の御用金が赤城山に埋められたという、広く知られた伝説の中身と、その位置づけを紹介します。

  26. 日記が眠っていた八十年

    貴重な日記・家計簿が約八十年間、世に知られずにいた背景にある事情を紹介します。

  27. 高崎の記念館、開館へ

    小栗上野介ゆかりの高崎市で進む記念館の整備について、簡潔に紹介します。

  28. 発見者・本多夏彦氏の後日談

    日記・家計簿を発見し翻刻した本多夏彦氏の仕事と、その後の学術的評価を紹介します。

資 料

  1. 本と資料

    どの本から読めばよいか。そして、自分で一次資料に当たるにはどうするか。両方をまとめました。

  2. 一次資料とデジタルアーカイブの探し方

    原典に当たりたい方へ。資料の一覧と、実際に手を動かすときの順番を書いておきます。

  3. 関連リンク

    公式・一次情報を優先し、内容を確認したサイトだけを載せています。リンク切れにお気づきの際はお知らせください。

そのほか

  1. 小栗上野介とは

  2. 大河ドラマ『逆賊の幕臣』と史実

  3. このサイトについて

  4. Oguri Kōzukenosuke Tadamasa

  5. Who Oguri Kōzukenosuke was

  6. The drama “Gyakuzoku no Bakushin” and the history

  7. Oguri Kōzukenosuke Tadamasa: a chronology

  8. 1868 — from dismissal to the riverbed at Mizunuma

  9. Commemoration in later years — the course of his rehabilitation

  10. The works of Oguri Kōzukenosuke

  11. The Yokosuka ironworks — the beginning of modern industry in Japan

  12. The Hyōgo Shōsha and the Tsukiji Hotel — the beginning of the joint-stock company

  13. The places

  14. Tōzenji — the temple where Oguri Kōzukenosuke lies

  15. The riverbed at Mizunuma — cut down in this place without crime

  16. The site of the house on Kannonyama, and the Odaka water channel

  17. Visiting Yokosuka — what the work left

  18. Fumon'in — the temple of the founder of the house of Oguri

  19. Kanda Surugadai and Tsukiji — what is left in Tokyo

  20. Hozenji — the family temple in Edo

  21. The “grave of the generations of the house of Oguri” at Zōshigaya cemetery

  22. Books and sources

  23. Finding the primary sources and the digital archives

  24. Links

  25. Oguri Mankyō — the priest said to be a concubine's son

  26. The genealogy in Oguri Mankyō Den

  27. Mankyō's brothers and sisters — Shige, Ei and Hōzō

  28. About this site

  29. Contact

  30. Odds and ends

  31. Boyhood and marriage — up to becoming a shogunal official

  32. His birth, his family home, and the line of the house of Oguri

  33. The founder Oguri Matakichi and the legend of his feat of arms — Anegawa, or Nagashino?

  34. The origin of the family crest, a standing wave in a circle

  35. Asaka Gonsai's private school, and the company of able students

  36. Pockmarks and short sight — the boy Oguri as he was

  37. Training in swordsmanship, jūjutsu and gunnery, and the Oguri school

  38. An argument at fourteen: the nerve he showed at the Tatebe house

  39. Entering the guard, and his first service

  40. His marriage to Michiko

  41. His father Tadataka's death, and the succession

  42. His rise as a shogunal official, and the embassy to the United States

  43. How he came to be chosen for the embassy

  44. Sailing from Shinagawa — seventy-seven men put to sea

  45. Testing the “myth” of the Kanrin Maru

  46. A courtesy visit to the Kingdom of Hawaii

  47. Landing at San Francisco

  48. Crossing the Isthmus of Panama by rail

  49. The audience with the President at Washington

  50. The currency negotiation, and the balance at the Philadelphia Mint

  51. A great welcome at New York, and the “Tommy Polka”

  52. Tommy the attendant: his popularity, and a false report

  53. “The ablest Japanese of them all”, as Americans saw him

  54. Home by the Atlantic and the Cape of Good Hope

  55. Coming home without knowing of the killing at the Sakurada Gate

  56. Negotiating with Russia, and reforming the shogunate's government

  57. The Tsushima incident — a Russian warship in occupation, and negotiation on a knife edge

  58. “Shoot me, then” — his nerve

  59. How the Tsushima incident changed Oguri's thinking

  60. Transferred again and again — eighteen times in nine years

  61. Reforming the army on Western lines as commissioner of infantry

  62. The aftermath of the Namamugi incident, and its diplomatic handling

  63. Why he chose the title Kōzukenosuke

  64. Opposing an increase of stipend for Hitotsubashi Yoshinobu, and resigning

  65. Katsu Kaishū, and the parting of two fates

  66. The man who saw the Washington Navy Yard

  67. The Yokohama ironworks — the works that came before Yokosuka

  68. The Saga domain's idle machinery

  69. Friendship with Kurimoto Joun, and the repair of the Shōkaku

  70. Why France was chosen

  71. “I had not even heard the word dock” — Kurimoto's surprise

  72. A trick that got a dirty warship cleaned

  73. The opening of the French language school

  74. Training shipbuilders — a school inside the works

  75. The Meiji emperor's visit, and his rescript

  76. The launch of the Seiki, the first warship built in Japan

  77. The link with the battle of Tsushima, and Tsushima come round again

  78. The words Tōgō Heihachirō gave

  79. The statue was at first to be Verny's alone

  80. How the techniques reached the Tomioka silk mill

  81. The central bank the shogunate planned, and never had

  82. Meeting Minomura Rizaemon

  83. The man who saved Mitsui, and how far he rose

  84. The first convertible paper money in Japan, the Edo–Yokohama note

  85. The founding of the Hyōgo Shōsha, the first joint-stock company in Japan

  86. Set beside Sakamoto Ryōma's Kaientai

  87. The joint French-Japanese company that never was

  88. The six-million-dollar loan that never was

  89. A newspaper that did not get started

  90. The powder works at Takinogawa that never was

  91. The return of power to the emperor, and Oguri's case against it

  92. The great council at Edo Castle — the one voice for fighting on

  93. The Hakone plan that never was

  94. The petition to settle at the village of Gonda

  95. The water channel and the house on Kannonyama, and the school he hoped to build

  96. His last command: driving off the gamblers' attack at Sannokura

  97. The flight of his wife Michiko — the road to Aizu

  98. Presenting himself, and the arrest — answering the order

  99. The sixth day of the intercalary fourth month: the end at the riverbed at Mizunuma

  100. The end of his adopted heir Matakichi

  101. A loyal young man, and the story of how he guarded his lord's head

  102. Tatebayashi: the night the heads were taken back

  103. Kuniko, “the only blood of the house of Oguri”, born at Aizu

  104. The retainers who died on the Karasu River

  105. The seventeen who went with them to Aizu

  106. The silent years of the early Meiji era

  107. The rehabilitation of 1915, fifty years since the opening of Yokosuka

  108. Ninagawa Arata, and the inscription “benevolence and duty together”

  109. The commemoration movement of the 1930s — the stone for the summoning of his spirit, and the bust

  110. The Empress, and a photograph

  111. The day a prime minister came to pay his respects

  112. The first international ceremony after the war: the unveiling of the bust after the peace treaty

  113. The people around him

  114. Kurimoto Joun — from Ezo to the shogunate's councils, a lifelong friend

  115. Katsu Kaishū — a fellow of the sword, and his greatest political opponent

  116. Léonce Verny — the engineer who gave his working life to Yokosuka

  117. Kimura Settsu-no-kami Yoshitake — the commander who spent his own money

  118. Fukuzawa Yukichi and Enomoto Takeaki — a story of a debt

  119. Hara Yasutarō — what became of the man who ordered the beheading

  120. Mukasa Ginsuke — the young man said to have guarded his lord's head

  121. Suwa Ehaku — the abbot who held the key and begged for a boy's life

  122. Honda Sanzaemon — the man who went to fetch his lord's head

  123. Ikeda Kayo — the girl who saw that spring at Gonda

  124. Ikeda Denzaburō — the man who led them to Aizu and fought at Goryōkaku

  125. Ōkuma Shigenobu — the man entrusted with the daughter left behind

  126. Tokutomi Sohō and Okada Keisuke — those who came to pay their respects in the 1930s

  127. Tateishi Onojirō, “Tommy” — the attendant who set all America talking

  128. Stories about the man

  129. Barter diplomacy: Arabian horses for silkworm egg cards

  130. Japanese at Commodore Perry's house, and the story of his dog

  131. The largest ship in the world, the Great Eastern

  132. “The ablest Japanese of them all”, as Americans saw him

  133. Katsu Kaishū's seasickness, and the affair of the flag

  134. Schools for the blind and the deaf, and surprise at an America that cared for its people

  135. Daily life and the household accounts

  136. A liking for eel, as the accounts show

  137. A New Year sight: money for the monkey showman

  138. Was there a concubine? — the “Oaya” of the account book and the “Outa” of Gonda

  139. His wife's rite of the sash, at the village of Gonda

  140. The year-end payment, and the rule of giving by rank

  141. The French military adviser's frequent visits

  142. A debt from the earthquake, paid off over ten years

  143. The year the accounts went well into surplus on the embassy allowance

  144. Oguri Kōzukenosuke in literature and tradition

  145. Oguri Kōzukenosuke in Shimazaki Tōson's Yoake Mae

  146. The “one come again” in Nakazato Kaizan's Daibosatsu Tōge

  147. The Oguri school of the sword, and an unexpected link with Sakamoto Ryōma

  148. Fellow students at Asaka Gonsai's school

  149. The Satsuma biwa song “Lord Oguri of Jōshū”

  150. Urban legends and loose ends

  151. Following the legend of treasure buried on Mount Akagi

  152. The eighty years the diaries lay unread

  153. A memorial museum at Takasaki, toward opening

  154. Honda Natsuhiko, who found them: what followed

  155. All articles