ゆかりの地

群馬(最後の日々と墓所)、横須賀(仕事の跡)、東京とその周辺(生まれ育った場所と先祖の墓所)。場所ごとの記事への入口です。

小栗上野介にゆかりのある場所は、大きく群馬(最後の日々と墓所)、横須賀(仕事の跡)、東京とその周辺(生まれ育った場所と先祖の墓所)の三つに分かれます。場所ごとの詳しい記事を用意しましたので、下の見出しからお進みください。拝観の時間・料金・休館日は変わりますので、訪ねる前に必ず各施設の公式ページでご確認ください。

群馬県高崎市倉渕町 ― 最後の六十四日

  • 東善寺 高崎市倉渕町権田169。小栗が権田村で暮らした曹洞宗の寺であり、いまは小栗上野介の菩提寺です。境内に墓所と遺品館があります。小栗を知るなら、まずここです。

  • 水沼河原の顕彰慰霊碑 処刑の地に建つ碑。碑文は「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」。昭和七年(1932)五月五日除幕。高崎市指定史跡「小栗上野介忠順終焉の地」です。

  • 観音山の屋敷跡と小高用水 小栗が新しい暮らしのために建てていた屋敷の跡。礎石が残り、フランス式測量で引いた用水はいまも使われています。上棟から十日ほどで追討の回状が届きました。高崎市指定史跡「観音山小栗邸跡」。

  • 姉妹観音 相間川上流「通らずの渕」の岩壁の下。権田を脱出する途中で川に沈められた、用人・塚本真彦の幼い娘二人を悼む像です。高崎市倉渕町岩氷19-1付近。

    → 観音山の記事でくわしく
  • 小栗又一の墓 高崎市内。釈明のため総督府へ出向いて捕らえられ、閏四月七日に高崎城内で斬られた養嗣子・忠道(又一)の墓です。数え二十一歳でした。

    → 又一の最期
  • 道の駅 くらぶち小栗の里 倉渕町。地名に小栗の名が残っています。倉渕を訪ねる際の立ち寄り先として。

  • 高崎市榛名歴史民俗資料館 榛名地区の歴史民俗資料館。小栗家ゆかりの品を含む地域の資料を所蔵しています。

    高崎市公式:榛名歴史民俗資料館 / 常設展示のご案内

小栗まつり(墓前祭)

小栗上野介顕彰会により、東善寺と倉渕で毎年「小栗まつり」が行われています。墓前祭のほか、記念式典や講演会が開かれます。開催日は年によって変わり、申込制になる年もありますので、高崎市倉渕支所の告知でご確認ください。

高崎市(倉渕支所)小栗まつりの開催について

記念館の開館予定について

2027年の大河ドラマを前に、高崎市で小栗上野介の記念館の整備が進められていると報じられています。正式な名称と所在地を記した市の公式ページは、まだ出ていません。

神奈川県横須賀市 ― 仕事の跡

東京とその周辺 ― 生まれ育った場所と先祖の墓所

  • 神田駿河台と築地 千代田区神田駿河台。小栗家が代々住んだ屋敷の跡で、九歳の忠順が通った安積艮斎の塾も、もとはこの屋敷の長屋に開かれたものでした。築地には、世界一周の出発点となった軍艦操練所跡と、築地ホテル館跡があります。

  • 雑司ヶ谷霊園「小栗家累代之墓」 豊島区南池袋。大正元年(1912)九月、娘・国子の婿である小栗貞雄が建てた墓です。裏面に忠順・道子・貞雄・國子の没年月日が刻まれています。

  • 保善寺 中野区上高田。もと牛込にあった曹洞宗の寺で、江戸における小栗家の菩提寺でした。五代政信から歴代がここに眠ります。

  • 普門院 さいたま市大宮区大成町。小栗家の始祖・忠政の墓があり、忠順が献じた石灯籠と、昭和九年の招魂碑が残ります。首級を埋葬したと伝える標柱も立っています。

会津へ ― 脱出の道

処刑に先立ち、母・邦子、妻・道子、養女・鉞子は、権田村の村人二十余名に護衛されて会津をめざしました。経路は権田村から長野原、和光原(吾妻郡中之条町六合地区)、地蔵峠、秋山郷(長野・新潟県境)、十日町、長岡、新潟、津川を経て会津へ。身重の道子には過酷な道のりでした。閏四月末に会津へたどり着き、そこで女子・国子が生まれています。

護衛にあたった村人たちが静岡まで見届けて権田村に戻ったとき、その姿は乞食同然だったと伝えられます。

→ 会津への脱出 護衛にあたった村人たち 中島三左衛門

典拠:高崎市・横須賀市・さいたま市・中野区・千代田区の公開資料ほか、本と資料に挙げた文献。施設の情報は変わります。訪問前に公式ページでご確認ください。誤り・変更のご指摘を歓迎します。