小栗上野介忠順の生涯には、数多くの人々がかかわりました。横須賀製鉄所の建設をともに進めたフランス人技師、幕臣として立場を異にした同僚、遣米使節をともにした仲間、そして最期の場面に立ち会った人たち――。ここでは小栗と交わった人々を取り上げ、それぞれの生涯や人となりを紹介します。
出来事そのものの詳しい経緯は「事績」や「年譜」の各章で扱っています。この章では、あくまで人物そのものに焦点を当てました。
この章の記事
-
奥医師の家に生まれ、蝦夷地での実務を経て幕閣に転じた盟友。横須賀製鉄所の建設を支え、維新後は言論人として生きました。
-
同じ剣術の師系に学びながら、政治の場ではしばしば道を違えた同時代の幕臣。その評価は今も分かれています。
-
フランス海軍の技師として招かれ、横須賀製鉄所の技師長として建設を指導した人物です。
-
咸臨丸の総督として太平洋を渡り、私財を投じて航海を支えたと伝わる幕臣です。
-
東善寺十五代住職。幼名は菊之助。小栗が斬られて葬られた寺を、その十年後に継いだ僧です。家伝は小栗上野介と側室ウタの子と伝えます。
-
咸臨丸に乗り組んだ福澤諭吉が、維新後に旧幕臣・榎本武揚の助命に関わったと伝わる逸話です。
-
小栗の処刑にかかわったとされる新政府軍の監軍が、後年に歩んだ道を紹介します。
-
小栗家の用人の子として、主君の首級を密かに菩提寺へ運んだという忠義の逸話が伝わります。年齢は史料によって違います。
-
小栗が最後の二か月を過ごした東善寺の十四代住職。金庫の鍵を預かっていたため拷問を受け、斬られかけた銀介の命を乞いました。
-
権田村の酒造家で組頭。小栗の家族を会津へ逃し、農夫に変装して処刑を見届け、館林まで首級を迎えに行きました。
-
小栗家の歩兵・池田民吉の娘。十七歳で東善寺へ手伝いに通い、九十一歳でその日々を語りました。
-
かよの許婚。博徒来襲では烏川を渡って斬り込み、小栗の母と養女を万騎峠から会津へ導き、のち京都で巡査になりました。
-
会津で生まれた小栗の娘・クニ子を後年引き取り、小栗家の存続に力を尽くしたと伝わります。
-
昭和期、小栗の菩提寺を訪ねたことが記録に残る言論人と、時の首相を紹介します。
-
遣米使節に従者として随行し、若く陽気な人柄でアメリカ中の人気者になったと伝わる人物です。