小栗上野介の事績

横須賀製鉄所、遣米使節での通貨交渉、日本で最初の株式会社。八年のあいだに何を残したのかを、事績ごとに整理しました。

小栗上野介の仕事は、遣米使節から数えてわずか八年のあいだに集中しています。その間に幕府は倒れ、本人は斬られました。それでも残ったものが、明治以後の日本の骨格の一部になっています。

何をした人なのか。ここでは代表的な二つの事績を、記事群としてまとめて紹介します。渡米中の見聞や、最晩年の権田村での構想については、年譜「幕臣としての台頭・遣米使節」や年譜「慶応四年」のほうで、時系列に沿って詳しく扱っています。

フェリーチェ・ベアト撮影の江戸城二重橋
江戸城二重橋(フェリーチェ・ベアト撮影、1863年)。小栗が勘定奉行として登城した江戸城。出典:東京都写真美術館蔵
  1. 横須賀製鉄所 ― 日本の近代工業のはじまり

    船だけでなくあらゆる工業製品を造る総合工場。初めから蒸気機関を原動力に設計され、技術者を育てる学校を併設し、定時労働・日曜休日・月給・複式簿記という働き方をこの国に持ち込みました。慶応期のドックは、いまも現役です。

  2. 兵庫商社と築地ホテル館 ― 株式会社のはじまり

    日本最初の株式会社と、日本人による最初の本格的な洋式ホテル。ばらばらの小資本では外国商社の「前貸し支配」から抜けられない、という認識から出た構想でした。利益でガス灯・郵便・電信・鉄道を作るところまで書かれています。

ひとことでいうと

  • 技術 横須賀製鉄所(造船所)、横浜製鉄所、滝野川大砲製造所、中小坂鉄山の開発。そして横浜仏蘭西語学伝習所という、技術を受け取るための語学教育。

  • 経済 日本最初の株式会社「兵庫商社」、株式会社方式による築地ホテル館。郵便・電信・ガス灯・鉄道の構想。三野村利左衛門を三井へ推し、中央銀行の構想も語っていた。

  • 軍制 歩兵・騎兵・砲兵の三兵編制による洋式陸軍と、フランス人教官による訓練。桂小五郎(木戸孝允)が「関東の政令一新し、兵馬の制頗る見るべきものあり」と驚きを書き残している。

  • 働き方 定時労働、日曜休日、月給、年功給、技能給、複式簿記。横須賀に定着し、富岡製糸場へ伝わり、現代の会社員の原型になった。

主な典拠:『小栗日記』(群馬県史料集第七巻)、『同方会報告』、塚越芳太郎『讀史餘録』、『平野弥十郎幕末・維新日記』ほか、本と資料に挙げた文献。→ 本と資料