小栗上野介の仕事は、遣米使節から数えてわずか八年のあいだに集中しています。その間に幕府は倒れ、本人は斬られました。それでも残ったものが、明治以後の日本の骨格の一部になっています。
何をした人なのか。ここでは代表的な二つの事績を、記事群としてまとめて紹介します。渡米中の見聞や、最晩年の権田村での構想については、年譜「幕臣としての台頭・遣米使節」や年譜「慶応四年」のほうで、時系列に沿って詳しく扱っています。
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船だけでなくあらゆる工業製品を造る総合工場。初めから蒸気機関を原動力に設計され、技術者を育てる学校を併設し、定時労働・日曜休日・月給・複式簿記という働き方をこの国に持ち込みました。慶応期のドックは、いまも現役です。
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日本最初の株式会社と、日本人による最初の本格的な洋式ホテル。ばらばらの小資本では外国商社の「前貸し支配」から抜けられない、という認識から出た構想でした。利益でガス灯・郵便・電信・鉄道を作るところまで書かれています。
ひとことでいうと
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技術 横須賀製鉄所(造船所)、横浜製鉄所、滝野川大砲製造所、中小坂鉄山の開発。そして横浜仏蘭西語学伝習所という、技術を受け取るための語学教育。
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経済 日本最初の株式会社「兵庫商社」、株式会社方式による築地ホテル館。郵便・電信・ガス灯・鉄道の構想。三野村利左衛門を三井へ推し、中央銀行の構想も語っていた。
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軍制 歩兵・騎兵・砲兵の三兵編制による洋式陸軍と、フランス人教官による訓練。桂小五郎(木戸孝允)が「関東の政令一新し、兵馬の制頗る見るべきものあり」と驚きを書き残している。
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働き方 定時労働、日曜休日、月給、年功給、技能給、複式簿記。横須賀に定着し、富岡製糸場へ伝わり、現代の会社員の原型になった。