安政六年(1859)九月、小栗忠順は目付に任じられ、その翌日には日米修好通商条約の批准書交換のためアメリカへ渡る使節への随行を命じられました。正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守範正とともに、総勢七十七人。翌万延元年(1860)正月に品川を発ち、ハワイ、サンフランシスコ、パナマを経てワシントンへ向かいます。
国書奉呈と批准書交換という表向きの使命に加え、小栗にはもう一つ、通貨交換比率の交渉という重い任務がありました。フィラデルフィアの造幣局での天秤ばかりの一件は、この使節団のなかでもとりわけよく語り継がれる場面です。
帰路は大西洋・喜望峰回り。一行は日本人として初めて世界を一周して帰国しました。ここでは、抜擢の背景から帰国後の外国奉行就任までの一年余りを、順を追ってたどります。
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目付就任からわずか一日での随行拝命。井伊直弼による人選と伝わる経緯と、渡米前に整えられた養子縁組を追います。
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万延元年正月十八日、正使・副使・目付以下七十七人がポーハタン号に乗り込みます。護衛艦・咸臨丸の同行についても整理します。
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使節団といえば咸臨丸、というイメージがどこまで正しいのか。本隊はポーハタン号であったという事実関係を確かめます。
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二月十四日、当時独立国だったハワイ王国に寄港。国王夫妻への謁見という、日本人にとって初めての体験でした。
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三月九日、サンフランシスコに大歓迎を受けて上陸。絨毯やシャンパンに驚いた一行は、造幣局も視察しています。
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大西洋側へ抜けるため、蒸気機関車でパナマ地峡を横断。日本人が公式に鉄道へ乗った最初期の記録のひとつです。
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五月十七日、ホワイトハウスでブキャナン大統領に国書を奉呈。護衛の少なさに驚いたという逸話も伝わります。
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小栗に課された秘命、通貨交換比率の交渉。日米の金貨を天秤にかけ、含有量ではなく通用価値を主張しました。
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軍事パレードと大舞踏晩餐会。従者・立石斧次郎の人気ぶりと、彼にちなむ曲や詩の逸話を紹介します。
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人気者になった立石斧次郎をめぐる、ある発言の誤解から広まった「切腹した」という誤報の顛末です。
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アメリカの新聞や随行士官の日記に残るとされる、小栗への人物評をたどります。
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大西洋から喜望峰、ジャワ、香港、台湾を経て帰国。日本人として初めて世界を一周した使節団となりました。
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渡米中に起きていた桜田門外の変。帰国した一行はまだそれを知らず、無言の出迎えを受けたと伝わります。