2027年 NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』主人公

小栗上野介忠順

おぐり こうずけのすけ ただまさ

1827 — 1868

遣米使節として世界を一周し、横須賀に造船所を建て、日本で最初の株式会社を作った幕臣。慶応四年閏四月六日、取り調べのないまま烏川の河原で斬られました。

罪なくして此所に斬らる

小栗上野介忠順 肖像
小栗上野介忠順公肖像
国立国会図書館「近代日本人の肖像」
  • 160年

    いまも現役の
    横須賀のドック

  • 77人

    世界を一周した
    遣米使節の総勢

  • 4度

    勘定奉行に
    任じられた回数

  • 0回

    斬られるまでに
    行われた取り調べ

Introduction

小栗上野介とは、どういう人か

小栗上野介忠順は、幕末の幕臣です。文政十年(1827)に江戸駿河台の旗本の家に生まれ、目付・外国奉行・勘定奉行・軍艦奉行などを歴任しました。万延元年(1860)の遣米使節では目付として渡米し、一行は日本人として初めて世界を一周します。

帰国後の八年間、小栗は横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)の建設、洋式陸軍制度の導入、日本初の株式会社「兵庫商社」の設立、フランス語学校の開設、鉄鉱山の開発など、幕府の近代化政策を次々に実行に移しました。郵便・電信・ガス灯・鉄道の設置も構想していました。

慶応四年(1868)正月に役を解かれると、知行地であった上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)へ移り住みます。しかし同年閏四月六日、烏川の水沼河原で、取り調べのないまま新政府軍に斬首されました。翌日には養嗣子の又一ら四名も高崎で斬られています。

その仕事の多くは明治以後に実を結びました。大隈重信は「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と語ったと伝えられ、東郷平八郎は日本海海戦の勝利を横須賀造船所の功に帰して遺族に礼を述べています。

「逆賊」は、殺されたあとに貼られた名です。小栗は逆賊だから殺されたのではありません。経過は慶応四年の年譜に、日を追ってまとめてあります。

生涯と功績をひととおり通して読みたい方は、小栗上野介とは ― 生涯・功績・斬首の理由にまとめてあります。2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』についてはこちら。

横須賀造船所のドック
横須賀造船所のドック 明治三十三年(1900)刊『日本之名勝』より 国立国会図書館デジタルコレクション

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小栗上野介について調べようとすると、資料が寺・自治体・図書館・デジタルアーカイブに散らばっていて、どこから当たればよいのか分かりにくいという問題があります。このサイトは、確かめられる事実と、資料の在りかを一箇所に集めた索引です。

顕彰そのものは、菩提寺である東善寺、小栗上野介顕彰会、高崎市、横須賀市などが長く続けてこられました。本サイトはそれらに代わるものではなく、そこへ確実にたどり着けるようにする案内のつもりで作っています。

令和九年(2027年)のNHK大河ドラマは、小栗上野介忠順を主人公とする『逆賊の幕臣』(松坂桃李主演)が予定されています。これから小栗上野介を調べる方が増えると思いますので、そのときに最初に見る場所として役に立つよう、資料の所在を整理しています。