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徳富蘇峰と岡田啓介 ― 昭和の参拝者たち

昭和期、小栗の菩提寺を訪ねたことが記録に残る、言論人と時の首相です。

昭和のはじめ、埼玉県大宮にある小栗家の菩提所・普門院に、二人の著名な人物が相次いで足を運びました。言論人の徳富蘇峰と、内閣総理大臣の岡田啓介です。明治のあいだ朝敵の汚名のもとに置かれていた小栗の評価が、この時期にどう動いたかを示す出来事でした。

徳富蘇峰の参拝 ― 昭和八年五月

『近世日本国民史』の著者である徳富蘇峰は、昭和八年(一九三三年)五月、夫妻で普門院を訪れました。大宮警察署長の案内でした。当時の住職・阿部道山氏は、歴史家の蜷川新から「蘇峰はあまり小栗に対して同情も史的正観も持っていない」と聞かされていたため、内心どうかと思っていたといいます。しかし蘇峰は終始にこにこしていました。

案内された蘇峰は、小栗の首を埋めた無字塔の前で献香し、しばらく黙禱を捧げて、不幸な功臣の霊に真心をこめて礼拝しました。続いて阿部氏が黙って初祖・小栗忠政の墓に導くと、蘇峰は戒名と「元和二年九月十八日」という年号だけを見て、こう言ったのです。

小栗の始祖忠政の墓、元和二年九月十八日 ……
又一の名は家康から貰ったものです。槍の名人でね。

阿部氏は驚きました。「今まで多くの人と接したが、忠政の墓をこの戒名と年号だけ見て直ちに忠政の墳也と云はれる仁は他になかつた」と書き残しています。

東京日日新聞に載った参拝記

蘇峰はこの参拝を、東京日日新聞の夕刊「日々だより」に書きました。

我等はそれから大宮町の外れにある普門院に赴いた。此処は小栗家の菩提寺だ。我等は阿部和尚に導かれ、小栗家の墓に赴き、歴代の墓に詣した。初祖忠政の石塔には、元和二年の文字が微かに現れてゐた。而して上野介の首を埋めた無字塔に向つて一瓣の香を献げた。記者は上野介と政治的見地を異にした勝海舟翁の門下である。然も上野介が果敢、勇往、其の信ずる所に篤く、其の仕うる所に忠に、横須賀船渠を創始するに際し、せめて土蔵附売家にとの志を憐み、且つ悲しむものだ

徳富蘇峰「日々だより」(阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』所引)

勝海舟の門下であることをわざわざ断ったうえで、小栗の志を憐れみ悲しむと書いた――そこにこの一文の重みがあります。阿部氏によれば、この記事が出て初めて小栗の菩提所が世に知られ、各所から思いがけない手紙や激励が寄せられるようになりました。

もっとも、蘇峰は同じ記事で「小栗上野介の最期は、如何にも一節の悲劇であつた。併し彼としては到底生命を全くして明治政府に出仕する気分にはなるまい」とも書いています。阿部氏はこれに真っ向から異を唱えました。上野介は決してみずから生命を粗末にする人物ではない、時流に棹さして名を追う短気者の英雄ならば自殺もしただろうが、上野介にそんな小さな思慮はない、明日の国家再建に奮闘しようとして中途に倒れたと見るのが正当である、と。

蘇峰夫妻は記念に松を手植えしました。阿部氏が本を書いたころには、その松はすでに丈余に育っていたといいます。

岡田啓介の参拝 ― 昭和十年六月

もう一人の参拝者、岡田啓介は海軍大将であり、昭和九年に内閣を組織した総理大臣です。昭和十年六月、現職の総理として普門院に詣でました。日本海軍の恩人としての小栗を顕彰するためでした。

この時期、普門院には海軍関係者が数多く足を運んでいます。黒井悌次郎大将、加藤寛治大将、竹下勇大将ら海軍の将星、そして床次大臣。戦前には横須賀海軍工廠長が毎年参拝して墓前祭を行なっていました。徳富蘇峰のほか、頭山満、伊藤痴遊といった人びとも好意を寄せています。境内には公爵・徳川家達の揮毫による「小栗上野介招魂碑」が建ち、その裏には蜷川新の撰文が刻まれました。

阿部氏は、岡田啓介と面談した折に、横須賀海軍工廠が小栗の発案であることが今なお世に認識されていないのはどうしたことかと話し、これは史家の罪に帰すべきだろうと語り合ったことも書き留めています。

参拝が呼んだ論争

ただし、この一連の参拝には別の側面もありました。普門院に小栗の首級が埋められているという説そのものに、異論があったのです。小板橋良平氏は、首級は館林の法輪寺から奪還されて権田へ戻されたのであって普門院埋葬説は史実と無縁だとし、昭和十年六月に総理大臣まで普門院に参詣するに至って、郷土史家の豊国覚堂が『上毛及上毛人』二二〇号(昭和十年八月)で言及する事態となった、と記しています。

言論界の重鎮と現職総理の参拝は、小栗の名誉回復を大きく後押ししました。同時に、その墓がどこにあるのかという議論に火をつけることにもなったのです。

典拠:阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』海軍有終会、1941年/小板橋良平『小栗上野介一族の悲劇』

→ 総理が参拝した日 → 蜷川新の研究 → 館林、首級奪還の一夜