高崎市倉渕町権田3584。東善寺から東へ七百メートルほどの台地で、高崎市指定史跡「観音山小栗邸跡」(昭和五十七年四月一日指定)です。市の文化財情報は「用水路は今も利用され、屋敷跡には礎石が残されています」と記します。完成しなかった建物の跡と、完成して働き続けている水路が、同じ山に並んでいます。
観音山という名
山というより丘です。南の岩壁の下に洞窟があり、その岩屋に一寸五分の金の観音菩薩像を祀る祠堂があります。源平の昔、熊谷次郎直実の愛馬「権田栗毛」の守り本尊だったと伝わる像で、そこから上の山を観音山と呼ぶようになりました。山頂は広く、眺望がききます。
この山は小栗家の持ち林でした。江戸の屋敷を引き払った小栗が、八か所に分かれた所領のなかから権田を選んだ理由の一つが、ここに自分の自由になる土地があったことです。閏四月一日に総督府の追捕令状を持って来た三藩の代表に対しても、小栗は、観音山はかねてから自分の持ち林であり、畑地に家を建てればその分だけ年貢の高内引になる、と説明しました。
普請の跡
着工は三月六日。三月十六日に住宅向普請絵図を大工へ渡して木積を依頼し、主屋は間口十二間・奥行七間半、三棟を建てる計画でした。山頂を開墾して五反歩ほどの田畑を起こし、溜池を掘り、馬場まで設け、茶を植えています。水は至り沢の奥から、遣米使節のときに米国から持ち帰った測量器具を使って山頂まで引き上げました。
小栗は三月六日から閏四月上旬までの五十余日に、三十九回観音山へ登って普請を監督しています。母堂と道子夫人も幾度か登りました。礎石や石垣の石をそろえるときには、嚢に天保銭を入れておいて、石を一つ運んでくるごとに一枚ずつ渡したと伝わります。領民は山麓を流れる烏川から競って重い石を運び上げました。
普請は三月六日から数えて五十二日目の四月二十八日、主屋の上棟を迎えます。小栗はこの日の昼過ぎにも普請場へ出向きました。観音山へ登った最後の日です。二棟目の上棟にとりかかろうとした頃、東山道総督府の追捕の回状が動きはじめていました。上棟を済ませた主屋はのちに移築され、総社町の民家として残っていると顕彰会の記録にあります。
小高用水
観音山の隣の小高は天水場で、雨の少ない年は田植えができませんでした。それを聞いた小栗はただちに測量して水路を開き、水を引かせています。『小栗日記』の三月十三日に「朝小高辺江相越夫水路為見分締場迄相越九時過帰宅」、十四日に「昼後小高江用水路普請之場所為見分相越夕刻帰宅」とあります。この用水は小栗の死後に完成し、いまも使われています。
小高の歩兵・佐藤龍作は、小栗の身が危うくなったとき、結婚したばかりの妻を残して夫人護衛の一行に加わりました。のちに権田の騒動を「チョボクレ節」に作った人です。
お殿様が、雨が降らなければ田植えが出来ない小高の地に、西洋流の測量の技術を使って水を引いてくれ、何百年来の村民の大望を果たして下された
小高からは、当時五十五歳で護衛隊の最年長だった山田卯之松ほか、四人が会津への道に出ています。小栗が小高へ来たのは二度。休憩のときに卵焼きを出されて「珍らしい」と言って食べ、その味をほめたという話や、蝙蝠傘をついていたという話が、小高生まれの老婦人から孫へ伝えられました。
邸跡の碑と、姉妹観音
屋敷跡に記念碑が建ったのは、処刑から百年目の昭和四十三年五月二日です。百年祭の朝九時から観音山で除幕式が行われました。長井出身で東京で病院を経営していた牧野総一郎氏の特志によるもので、題字「至誠泰公」は、小栗を遣米使節に抜擢した井伊大老の曾孫・井伊直愛の揮毫、撰文は大坪元治氏です。この題字は手拭に染められ、祭典の記念品として参会者に配られました。
小栗は口ぐせに「今にこの村から太政大臣を出してやる」と言っていたと、権田の故老が伝えています。学校も屋敷も、形にはなりませんでした。
観音山から相間川の上流へまわると、「通らずの渕」の岩壁の下に姉妹観音が立っています。権田を脱出する途中で川に沈められた、用人・塚本真彦の幼い娘二人(推定五歳と三歳)を悼む像です。彫像は萩原義雄氏、刻字と施工は蓮新次郎氏が、いずれもほぼ無償で引き受けました。平成五年十二月四日に開眼供養。所在は高崎市倉渕町岩氷19-1付近です。祖母と姉の供養塔は、昭和五十八年五月に地蔵峠に建てられています。
訪ねるとき
東善寺から東へ七百メートルほどですが、邸跡までは急坂を登ります。作家の井伏鱒二は八十三歳でこの坂を登り、山頂で周囲の山並みを写生して、帰ってから「かんのん山は実に見事だと思いました」と書き送りました。
高崎市文化財情報「観音山小栗邸跡」 / 高崎市観光サイト「小栗上野介の関連史跡」
典拠:『倉渕村誌』/小板橋良平『小栗上野介一族の悲劇』・小栗上野介顕彰会会誌『たつなみ』/『小栗日記』群馬県史料集第七巻/大坪元治『小栗上野介忠順家系及略年譜』小栗公顕彰会、昭和三十二年/高崎市の文化財情報・観光サイト。施設の情報は変わります。訪問前に公式ページでご確認ください。