横須賀は、小栗の仕事が物として残っている土地です。見られるものは三つ。公園に並ぶ二つの胸像、記念館の慶応元年製スチームハンマー、湾の奥でいまも動いているドックです。計画がどう立ち、どう建てられたかは横須賀製鉄所の章にまとめました。ここでは現地で何を見られるかを書きます。
ヴェルニー公園 ― 二つの胸像
横須賀市汐入町一丁目一番。JR横須賀駅から徒歩一分、京急汐入駅から徒歩五分、港に面した細長い公園です。かつては臨海公園と呼ばれていました。園内に、フランス人技師ヴェルニーと、当時の勘定奉行・小栗上野介忠順の胸像が並んで立っています。
最初の胸像は大正十一年(1922)九月二十七日、横須賀の諏訪山で除幕されました。彫刻家・朝倉文夫の作で、除幕式は日本海軍の手で行われています。建設の基金には、当時の皇后から御手元金二百円が下賜されました。九月二十七日という日付は、慶応元年九月二十七日に行われた製鉄所敷地の鍬入式にちなむものです。
いま公園に建つのは、この最初の像ではありません。初代の像は戦中の金属回収で供出され、市役所前の児童公園にセメント製の像が代わりに立てられました。昭和二十七年(1952)、戦後第一回の開港まつりに際して両像が改めて鋳造され、臨海公園に据えられます。大坪元治氏は、同年九月二十七日の除幕について、講和会議ののち国際儀礼により米仏両国の代表が列席し、フランス海軍の儀仗隊礼式のもとに除幕された銅像は小栗上野介ただ一人である、と書き留めました。現在の位置に移ったのは、平成十二年度の公園整備のときです。
朝倉文夫が作った初代の像の原型は、昭和二十八年、縁故の地である倉渕村へ贈られました。権田の東善寺の境内に立っているのが、その像です。横須賀で建った像が群馬に渡り、そこで小栗の墓前に据えられています。
→ 銅像は最初ウェルニーだけの予定だった / 戦後初の国際儀礼、講和後の胸像除幕式 / 東善寺
横須賀市公式:ヴェルニー公園
ヴェルニー記念館 ― 慶応元年のスチームハンマー
同じ公園内、東逸見町一丁目一番にあります。横須賀製鉄所の成り立ちを資料と映像で紹介する施設で、館の中心はスチームハンマー二台です。三トンと〇・五トン、慶応元年(1865)にイギリスで造られ、翌年にオランダを経て横須賀製鉄所へ入ったもので、船体や機械部品の製作に長く使われました。国内に現存する最古のスチームハンマーとして、国の重要文化財に指定されています。最終稼働時を再現した十分の一模型も置かれています。
「長く使われた」という言い方では足りません。平成八年(1996)十一月十五日、小栗上野介顕彰会の一行は臨海公園での祭典に参列したあと、在日米海軍横須賀基地に入っています。目的は、基地内の修理工場に残る三トンハンマーを見ることでした。着いてみると、ちょうど仕事が入ってハンマーが動くという。真っ赤に焼かれた鋼材がハンマーの下に据えられ、自重三トンが落ちて鍛える。できていたのは、原子力空母インデペンデンスのボイラーを補修するリベットでした。慶応元年の機械が、原子力空母の部品を造っていたわけです。工場はその年いっぱいで役目を終えることになっており、ハンマーは市の手で保存することが検討されている、と当時の記録にあります。
横須賀市公式:ヴェルニー記念館 / 横須賀市自然・人文博物館の解説
百五十年動いているドック
横須賀で一番見応えのあるものは、公園でも記念館でもなく、湾の奥にあります。慶応期に掘られたドライドックです。
工事の歩みは、海軍大佐・石原戒造の記録に日付で残っています。慶応元年三月十二日、委員は横須賀村の三賀保・白仙・内浦にわたる七万四千三百六十坪を製鉄所の敷地と決定。九月二十七日に敷地鍬入式。第一船渠の開鑿が始まったのは慶応三年三月です。
小栗が斬られたのは慶応四年閏四月六日、工事の途中でした。施設が朝廷に引き渡されたのは同年四月です。横須賀市は第一号ドックの完成を明治四年(1871)とし、「なんと百四十年近くがたった現在でも、在日米海軍横須賀基地内で稼動している働きもの」と記しています。
その明治四年十一月二十一日、明治天皇は御召艦龍驤に乗艦してこの造船所に行幸しました。幕府が建てた施設を、新しい政権の頂点に立つ人がみずから訪れています。遭難から三年目でした。
基地の中ですから、ふだんは見られません。ヴェルニー・小栗祭にあわせた見学で第一号ドックに入った顕彰会の記録があります。訪ねるつもりなら、市の催しの告知を追うのが確かです。
→ 「ドックの名も知らぬ」栗本の驚き / 明治天皇の行幸と勅語 / 国産初の軍艦「清輝」進水
横須賀市公式:横須賀の誇り!横須賀製鉄所(造船所)
ヴェルニー・小栗祭
横須賀市は小栗とヴェルニーを「市の恩人」として、毎年秋に祭典を催しています。顕彰会会誌『たつなみ』には十一月十五日の回、十月の回の記録が残り、開催日は年によって変わります。フランス大使の代理や米軍基地司令官が列席した年もあります。平成七年十一月十五日には、汐入町の臨海公園で横須賀製鉄所開設百三十周年の記念式典が行われました。
祭典の元をたどると埼玉に行き着きます。昭和九年に大宮の普門院に招魂碑が建って以来、横須賀工廠長が毎年その小栗祭に出向き、終戦まで続きました。戦後、それが横須賀市民の手に引き継がれています。