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アラビア馬と蚕卵紙の物々交換外交

幕末の日仏交易には、蚕の卵とアラビア馬という意外な組み合わせの物々交換が伝わっています。

幕末の日本とヨーロッパを結んだ意外な貿易品に、蚕卵紙(さんらんし)があります。蚕の卵を産みつけさせた紙のことで、生糸を生み出す蚕の「元手」にあたる品でした。

当時のヨーロッパでは微粒子病という蚕の伝染病が広がり、フランスをはじめとする養蚕業が大きな打撃を受けていました。健康な蚕種を持つ日本の蚕卵紙は、フランスにとって喉から手が出るほど欲しい品だったのです。

発端は陸軍の軍制改革

この取引は、思いつきの物々交換ではありませんでした。出発点は陸軍の立て直しです。

幕府が騎兵・砲兵・歩兵の三兵制度を採用すると決めたのは文久二年(1862)のことでしたが、四年たってもほとんど進んでいませんでした。元治二年(1865)三月ごろ、小栗は浅野美作守氏祐とつれだって横浜の栗本鋤雲の役宅を訪ね、こう切り出しています。

それからもう四年になるのに、さっぱり進んでいない。騎兵はと言えば、ただ馬術をやっているだけ。砲兵や歩兵についていえば、訳本『三兵タクチーキ』と首っぴきで、あて推量でそれらしいことをやっているだけである。これではとても“三兵”とは言えない(栗本鋤雲『匏菴十種』による)

三人は協議のすえ、フランス公使ロッシュに陸軍教官の雇い入れを相談することにします。慶応二年(1866)、陸軍奉行となった小栗は、軍制改革の草案づくりを栗本に命じました。栗本が進言したのが、歩・騎・砲の三兵主義です。とくに騎兵に力が入れられました。実戦における騎兵の重要性は、栗本がフランス人宣教師メルメ・カションから聞かされていたものでした。

その三兵主義を実現するには、日本の在来馬では間に合いません。体高が低く、荷駄や乗用には足りても、洋式の騎兵運用にはそぐわなかったからです。小栗は馬匹の改良を痛感し、これを断行します。

蚕卵紙を贈り、アラビア馬を得る

小栗が目をつけたのが、フランスに蚕卵紙が不足しているという事実でした。栗本の門下生だった犬養毅は、「鋤雲先生略伝」で師の功績をこう要約しています。

仏国の工師を招致し、以て一大工場を竣成す、今の海軍造船所是なり、又仏国陸軍士官数名を聘し歩騎砲三兵の技術を伝習せしめ、以て我陸軍々制を改革し、又仏語学校を横浜に設けて士官を養成し、又仏国政府の乏を知り、殊に精選する蚕卵紙を贈り、其酬として彼をしてアラビヤ馬匹牡牝数頭を致さしめて、我国馬匹改良の端を開き云々

選び抜いた蚕卵紙を贈り、その返礼としてアラビア馬の牡・牝数頭を送らせた――種馬・種牝馬をそろえて繁殖させ、国内の馬を改良する意図がはっきり読み取れます。横須賀造船所、陸軍伝習、横浜のフランス語学校、そして馬匹改良。犬養の文章では、この四つが一続きの事業として並べられています。

なお、小栗のアラビア馬について、万延元年(1860)の遣米使節の折に買って帰ったものだという説もありますが、阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』はこれを事実でないとし、慶応二年の軍制改革にともなう輸入だとしています。阿部氏は、小栗が馬を愛したのは賞玩のためではなく「強兵の中心は軍馬の改革にあり」と考えたためだとして、「上野介こそ、我国競馬の創設者にして実に馬匹改良の先駆者と仰ぐ可きである」とまで書きました。

権田へ下る道、そのあとの馬

このアラビア馬は、小栗の最後の旅にも同行しています。慶応四年(1868)、江戸を引き払って上州権田村へ向かった一行は、小栗一家五人、用人・塚本真彦の家族七人、荒川・大井・渡辺・沓掛・多田・武笠らの家臣と小者・女中・人夫を合わせて三十名近く。深谷、高崎と泊まりを重ねたこの道中を、小栗はアラビア馬にまたがって進んだと伝わります。

小栗が烏川の河原で斬られたのち、家財は没収され、めぼしい品は高崎から商人を呼んで競り売りにかけられました。アラビア馬は、処刑を指揮した監軍・原保太郎が召し上げます。ところが試乗したところ振り落とされ、足を負傷して生涯治らなかった、という挿話が残っています。

阿部道山氏は昭和になってから、老いた原を訪ねています。足が不自由な理由を尋ねると、原はこう答えました。

この右足はね、若い時、群馬でね、すばらしい馬がいたので、一寸その馬に乗って見る気になって乗った。ところがこの馬め大へんあばれて、わしは落ちた。それからどうも右足が悪くなった

それは権田の、小栗のアラビア馬ではないかと阿部氏が問うと、原は答えず、そうだともそうでないとも言わないまま、ただ回顧にふけっていたといいます。

生糸という日本の輸出産業の芽と、西洋式軍備の一部である馬匹改良とが、一本の外交の糸でつながっていた――地味ながら、幕末の日仏関係の重層さを物語る逸話です。

典拠:阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』海軍有終会、1941年(犬養毅「鋤雲先生略伝」引用)/坂本藤良『小栗上野介の生涯』講談社、1987年/小板橋良平『小栗上野介一族の悲劇』

→ 歩兵奉行としての洋式陸軍改革 → 原保太郎