『小栗卍教伝』は、小栗卍教のほかに三人のきょうだいを挙げています。二男のエイ、長女のシゲ、三男の芳蔵。いずれも小栗上野介忠順と側室ウタの子として記されています。
シゲ ― 士族・三浦吉堯に嫁ぐ
シゲは慶応二年(一八六六年)一月二十四日の生まれ。父の処刑のとき三歳で、母とともに水沼村の蓮華院という寺に匿われて難を逃れたといいます。
のちに三浦吉堯という士族に嫁ぎました。本が書いているのは「士族 三浦吉堯に嫁す」の一行だけです。
この人物の履歴は、宮内公文書館の進退録・恩給関係文書から追えます。東京府士族、安政元年(一八五四年)七月の生まれ。明治十八年から十九年まで農商務省商務局の九等属、のち宮内省御料局属として内藤新宿の御料地内 ── 現在の新宿御苑にあたります ── に住みました。明治二十六年に勲七等、明治三十年に退官し、明治三十一年に没しています。恩給願書に記された原籍は、東京市日本橋区蠣殻町一丁目三番地。
斬られた人の娘と伝わる女性が、皇室の御料地に住み、宮内省に勤める人の妻になっていたことになります。
芳蔵 ― 市川家を継ぐ
芳蔵は明治元年(一八六八年)十月十五日の生まれ。父が斬られた年に生まれた子です。本は「市川家当主」と記しています。
市川家は、母と伝わるウタが嫁いだ武蔵国久米川 ── 現在の東京都東村山市 ── の家です。ウタは東村山市の梅岩寺に眠っています。没年月日は大正元年十一月二十四日。
エイ
エイは、本の四頁の系図に「二男 エイ」と記されるだけで、それ以上のことは書かれていません。
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三人の兄にあたる人。東善寺十五代住職、のちに全透院二十五世。
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四人のきょうだいと、卍教の子の代まで。本の四頁・五頁から抜き出しました。
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家計簿の「於綾」と、権田村で見られた「おうた」。大坪元治氏と坂本藤良氏の読みが分かれています。
典拠:小山訂『小栗卍教伝』影印版/宮内公文書館所蔵 進退録・恩給関係文書/明治期の職員録、『日本紳士録』第三版ほか(国立国会図書館デジタルコレクション)/梅岩寺・市川家墓誌