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小栗上野介 忠順
1827 - 1868
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側室ウ タ
タキとも云えり
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長子小栗 卍教妻 エツ
幼名 菊之助
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〔分家〕
養子善 栄
東善寺十六代・全透院二十六代
長女タ ケ
昭和十八年没
長男顕 治
明治十八年没と記す
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〔本家〕
二男誉 次
小栗家を嗣ぐ
二女ハ ナ
滝沢家に嫁す
三女ス ミ
清水家に嫁す
三男小山 訂
小山家を嗣ぐ。『小栗卍教伝』を記す
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二男エ イ
長女シ ゲ夫 三浦 吉堯
慶応二年一月二十四日生。吉堯は士族
三男市川 芳蔵
明治元年十月十五日生。市川家当主
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典拠:小山訂『小栗卍教伝』影印版、四頁および五頁。→ 影印版の書誌(国立国会図書館サーチ)
この図の読み方
本が記したとおりに並べました。『小栗卍教伝』は、小栗上野介忠順と側室ウタとのあいだに四人の子があったとし、長子を卍教(幼名 菊之助)とします。
「おうた」という名は、ほかの本にも出てきます。慶応四年春の権田で小栗一家を見た池田かよの聞き書きに、「おうたという二十二、三の」女性が、奥方とも女中とも別に数えられて現れます(坂本藤良『小栗上野介の生涯』)。
ウタは東村山市の梅岩寺に眠っています。没年月日は大正元年十一月二十四日。
シゲの夫・三浦吉堯についてはこちらの記事で書いています。