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安積艮斎の私塾と英才たちの交遊

屋敷内で受けた漢学の手ほどきは、のちに幕末を彩る多くの人材と机を並べる経験でもありました。

少年時代の忠順は塾に通いました。もっとも「通った」といっても、歩いていく必要はありません。塾は小栗屋敷の長屋のなかにあったからです。神田駿河台の旗本屋敷の一角に、当時一流の学者・安積艮斎の私塾が入っていました。

忠順は文政十年(1827)、旗本二千五百石・小栗忠高の嫡男として、その屋敷に生まれました。幼名は剛太郎。屋敷は神田駿河台にあり、嘉永二年の切絵図には、神田川岸から駿河台下へ向かって五軒目に小栗の名が見えます。生まれた家の敷地のなかに、全国に名の知れた学者の塾があった――これが忠順の学びの出発点でした。

小栗屋敷の長屋に塾を開いた学者

安積艮斎は、寛政三年(1791)三月、陸奥国安積郡郡山の生まれです。父は安積国造神社の神主でした。名は重信、字は思順、通称は祐助、艮斎は号です。幼いころ二本松藩の藩儒に儒学を学び、のちに江戸へ出て佐藤一斎の学僕となり、ついで林述斎について学びました。

艮斎が小栗屋敷に塾を開いたのは文化十一年(1814)とされています。忠順が生まれる十三年も前のことです。天保二年(1831)に『文略』を著して名声を博し、以後、塾の名は日本全国に知られるようになりました。

人となりについて坂本藤良氏は、容貌魁偉、学問ひと筋、貧乏を苦としなかったために妻に逃げられるなどさまざまな苦労があった、と書いています。学者としては朱子学派に属しながら、思想の面では柔軟でした。渡辺崋山・高野長英らと交わりがあり、アメリカやロシアの書物の翻訳も手がけています。儒学の師でありながら海の向こうの情報に通じていた、という点は、のちの忠順の進路を考えるうえで見落とせません。

塾を閉じなかった理由

艮斎の名声は上がり続けます。天保十四年(1843)には二本松藩侯の教授に迎えられ、一時は二本松へ移りました。まもなく江戸へ戻り、嘉永三年(1850)、ついに昌平黌の教授に迎えられます。昌平黌は当時の日本で最高の学問所であり、その教授職は、今日の国立大学教授よりもはるかに重い存在でした。

ここで見ておきたいのは、艮斎がそれだけ出世しても、小栗屋敷内の塾を閉じなかったことです。二本松藩に迎えられたときも閉鎖せず、昌平黌教授となったのちも塾はそのまま残されました。そして万延元年(1860)三月に艮斎が没するまで、この塾は続けられたと伝わります。

理由も伝えられています。艮斎は、貧窮していた時代に小栗家から受けた援助を深く感謝していた、というのです。屋敷の長屋を貸した側と借りた側の関係が、四十年以上にわたって続いた背景には、そうした恩義がありました。

なお艮斎が世を去った万延元年三月、忠順は遣米使節の目付として太平洋の向こうにいました。三月八日(邦暦)にサンフランシスコへ入港し、造幣局の視察を始めたころにあたります。

満六歳から始まった学び

忠順がこの塾に通いはじめたのは、妹を失った天保五年(1834)、満六歳のときからだったといいます。ただし、幼い忠順が直接に教えを受けたのは艮斎その人ではなく、高弟の森田禎介と庫石典太であったと考えられています。全国に名の知れた大塾では、入門したての幼童は高弟が見るのが通例でした。

学んだのは漢学です。忠順はこの塾で漢学を修めるかたわら、剣術では男谷信友に学びました。文武それぞれに、当代一流の看板のもとで修業を積みました。

塾の同門には、五歳年上でありながら家も近い少年がいました。栗本瀬兵衛の生家は幕府御殿医・喜多村槐園の家で、江戸は神田小川町の裏猿楽町。小栗家のある駿河台の一角からほど近い場所です。ともに江戸の真ん中で育った少年同士でした。

この塾で得たもののなかで、生涯を通じてもっとも大きかったのは、おそらく一人の友人です。忠順は艮斎塾で、五歳年上の栗本瀬兵衛――のちの鋤雲――と知り合いました。容貌は魁偉だが、曲がったことが嫌いで、心のやさしい秀才だった、と坂本氏は描いています。二人の友情はこのとき芽生え、生涯変わりませんでした。いま、忠順最期の地である上州権田の東善寺には、二人の胸像が並んで建っています。

栗本のその後は、この塾が学びの入口であったことをよく示しています。彼は艮斎塾から昌平黌へ進み、天保十四年、二十二歳のときに校試甲科――幕吏の登用試験――に合格して、幕府から白銀十五錠を賞されました。このときの同期生が岩瀬忠震です。屋敷の長屋の塾は、幕府の中枢へ通じる道の最初の一段でもありました。

艮斎の門からは、このほかにも幕末から明治にかけて名を残す人材が数多く育っています。土佐から江戸に出た岩崎弥太郎が学んだ塾も、この小栗屋敷のなかの艮斎塾でした。同門の顔ぶれについては、豆知識の記事で詳しく扱っています。

典拠:坂本藤良『小栗上野介の生涯』講談社、1987年/小板橋良平『小栗上野介一族の悲劇』/顕彰会会誌『たつなみ』

→ 安積艮斎塾の同門たち|二千人を超える門人帳

→ あばたと近眼、小栗少年の実像

→ 栗本鋤雲 ― 生涯の友