小栗が一橋慶喜への加増反対の末に役を解かれた文久三年(1863)四月二十三日。坂本藤良『小栗上野介の生涯』は、石井孝博士の指摘として、この同じ日が勝海舟にとって「生涯における最良の日」だったと紹介しています。この日、勝は将軍・家茂から神戸海軍操練所の設立を許されていました。
剣から始まる因縁
二人の縁は幕政より前にさかのぼります。勝麟太郎は文政六年(1823)、本所亀沢町の生まれで、小栗より四歳年長。ともに小柄でしたが、坂本藤良氏によれば身長は小栗のほうがわずかに上でした。
剣もつながっています。小栗が少年時代に門を叩いたのは、幕末第一の剣聖といわれた男谷精一郎(信友)の道場で、流派は直心影流。男谷はのちに小栗の立ち合いを見て「思いきや、斯人の剣にして此の妙境に達せんとは」と激賞したと伝えられます。勝もはじめ、いとこにあたる男谷に入門し、天保九年(1838)、十五歳のときに同門の島田虎之助が独立して開いた道場へ移りました。坂本藤良氏は、幕末の日本を動かし、もっとも鋭く対立することになる二人が「少年時代の、いつの時点かで、同じ道場で剣を競った可能性がかなり濃厚と言っていい」「奇縁というべきであろう」と書いています。
万延元年(1860)の遣米使節では、小栗が監察としてポーハタン号でワシントンへ向かい、勝は護衛艦・咸臨丸の艦長として太平洋を渡りました。ただし咸臨丸はサンフランシスコで引き返しており、勝はワシントンには行っていません。坂本藤良氏は、後年この点がしばしば混同されてきたことを指摘しています。
文久二年(1862)五月十八日、幕府は軍制改革のために「御軍制御用取調」を命じます。大坪元治『小栗上野介忠順家系及略年譜』によれば、選ばれたのは小栗を含む幕府の枢要十一名で、勝麟太郎もその一人でした。二人が同じ仕事の席に並んだ、数少ない場面です。
「勝が浮かべば忠順が沈み」
文久三年四月以降、小栗が無役でいるあいだに、勝は元治元年(1864)五月十四日に軍艦奉行へ昇進し、「安房守」に任じられます。ところが同年七月の禁門の変で長州が敗れると、情勢は一転しました。長州と気脈を通じているとして勝が軍艦奉行を免職になるのが元治元年十一月十日。そして坂本藤良氏が「奇しくも」と繰り返すとおり、小栗がかねて主張し上申していた横須賀製鉄所の建設が正式に許可されたのも、同じ十一月十日でした。同書はこう書いています。
勝が浮かべば忠順が沈み、忠順が浮かべば勝が沈む。長州敗退は勝を沈め、忠順を浮上させた
勝の失脚にともない、神戸海軍操練所は閉鎖されます。その塾頭であった坂本龍馬は行き場を失い、のちに亀山社中を経て薩長連合の仲介者として現れることになりました。
打ち明けた機密と、その行方
慶応二年(1866)五月二十七日、幕府は薩摩藩を説得させるため勝を軍艦奉行に復職させ、大坂出張を命じます。その前日、小栗は勝に対仏借款の機密を打ち明けました。勝は『氷川清話』にこう書いています。
小栗がひそかにおれに言うには、君が今度西上するのは、必ず長州談判に関する用向きだろう。もし然らば、実は我々にかようの計画があるが、君も定めて同感だろう。ゆえに、敢てこの機密を話すのだと言った
その場では『解難録』にいう「議論も無益と思い、ただ唯々たる而已」で一言も反論しなかった勝は、大坂に着くと城内の老中たちに猛烈な小栗批判を展開します。『海舟日誌』には「国(の)財宝空費し尽るを以て、地を質して、払郎西より……金幣を借る」と記され、小栗が日本の国土を担保にフランスから資金を借りようとしている、という話になっていきました。坂本藤良氏は、この「国土担保説」が明治以降の小栗像を固定させたと見ています。
海軍の源流、ふたつ
坂本藤良氏は、日本海軍の源流はふたつあると整理します。ひとつは勝の流れで、神戸に海軍操練所をつくり訓練を行った。勝は神戸に「日本海軍発祥の地」の碑を自らの手で建てています。いまひとつが小栗の流れで、幕府内外の反対を押し切って造船所の建設を決め、その地を横須賀に定めた。日露戦争で戦った日本の軍艦の多くは、この横須賀の工廠で建造されました。
もっとも、勝が小栗の仕事すべてを否定したわけではありません。『海舟日誌』には、江戸で開国論を主張する者として大久保一翁を筆頭に「つぎに小栗豊後、岡部駿河の三子なり」と、小栗の名が挙げられています。さらに勝は『海軍歴史』のなかで、横須賀の事業をこう讃えました。
小栗上野介、勘定奉行より軍艦所の事を兼勤し、大に時勢を察し、海軍の拡張すべきを悟り、首として船廠設立の事を主張し……府帑空乏の際、経営拮据、此二工場を起すに至るは、亦深く嘉尚すべし
二人の対立が決定的な形をとるのは、慶応四年(1868)正月の江戸城の大評議です。その経緯は慶応四年の章で詳しく取り上げます。二人の関係についてはゆかりの人々のページもあわせてご覧ください。
典拠:坂本藤良『小栗上野介の生涯』講談社、1987年(『氷川清話』『海舟日誌』『解難録』『勝海舟全集10 海軍歴史Ⅲ』引用、石井孝の指摘)/大坪元治『小栗上野介忠順家系及略年譜』小栗公顕彰会、昭和三十二年