JISEKI

新聞創刊計画の頓挫

福澤諭吉に新聞を発行させる。そんな構想が幕閣に提出され、そして却下されていました。

横須賀製鉄所や兵庫商社ほど知られていませんが、小栗はもう一つ、幕閣に新聞発行の構想を建議しています。日本最初の西洋式新聞の発行計画でした。そしてこの計画も、実現には至りませんでした。

発想の起点は、渡米中に見た印刷機だった

構想の出発点は、万延元年(1860)の遣米使節の途上にあります。三月五日、ポーハタン号がハワイに寄港し、一行は「太平海、サントウキス島の内、オアホ島、ホナロロ港」――ホノルルに上陸しました。ここで小栗がさっそく見学に向かったのが、新聞社だったのです。

小栗の片腕として同行していた勘定組頭・森田岡太郎清行は、その場で見た印刷機のことを『亜行日記』にこう書き留めています。

機関の車をフレスと云ひ、摺立迅速なること一日におよそ千六百枚づつ

一日に千六百枚。手刷りの木版しか知らない一行にとって、これは衝撃でした。もっとも、小栗の見方は単純な感嘆では終わりません。刷り上がった新聞の記事を通訳の名村五八郎に訳させてみると誤りが多く、「浮説のみにて、信用あいならず」と手厳しく批判しています。新聞という器の力と、その中身の危うさを、最初の出会いで同時に見てとっていました。

続くアメリカ本土では、その力をいっそう思い知らされます。阿部道山氏によれば、サンフランシスコに上陸するや否や、一行の動静は翌日の新聞に写真版とともに細大漏らさず報道され、日刊のみならず週刊誌にも一行の様子が満載されていました。ただし一行のなかでこの新聞の力を強く感じ取ったのは小栗だけだったと、随員のアメリカ海軍士官ジョンストンの日記は記しています。

福澤諭吉に発行させる案

帰国後の小栗が向き合っていたのは、勤王・攘夷・佐幕・開港・鎖国と、国論が四分五裂して収拾がつかない状況でした。阿部道山氏は、小栗がこの混乱を前に、いかにして国民の思想を統一し、いかにして外国についての誤った見方を正すかの二点を熟考し、その答えとして新聞に着目したのだと述べています。政治は秘密主義であってはならない、国民に国家の政策を知らせ、諸外国の情勢を知らせてこそ挙国一致は生まれる――という発想です。

その担い手として小栗が目をつけたのが、福澤諭吉でした。福澤は小栗より七歳下。天保五年(1834)、大坂堂島の中津藩蔵屋敷に生まれた中津藩士・福澤百助の二男で、二十七歳のとき、咸臨丸の総裁であった軍艦奉行・木村摂津守芥舟の従者として渡米しています。小栗と同じ年に、別の船でアメリカを見てきた人物でした。

しかし、この構想は幕閣によって握りつぶされます。理由ははっきりしていました。当時の幕府は、政策の秘密を厳守していてさえどこからか漏れることに神経をすり減らしていたのです。そこへ新聞を発刊して全国民にばらまくなどもってのほかだ、というのが幕閣の議決でした。

『日本新聞発達史』は、この一件をこう記しています。

小栗は当時福沢諭吉をして、新聞を発行せしむる計画であったが、幕府内これに耳を傾くるものなく、遂にその意を達し得なかった。慶応三年幕府倒るるに及び、小栗は若し新聞紙あつて、公武の秘密、官民の内情曝露せられたりしならば、事此所に及ばなかつたのであらうと云つたとの事である

幕府が倒れたあとになって、小栗自身が「新聞さえあれば、事態はここまで来なかったろう」と語ったというのです。坂本藤良氏も、もし実現していれば幕末日本の世論は大きく変わっていただろう、と小栗自身がのちに述懐したことを伝えています。

栗本鋤雲が継いだ路線

小栗のこの構想は、本人の手では実現しませんでした。それを引き継いだのが、横須賀製鉄所の建設で小栗の片腕となった栗本鋤雲です。栗本は明治以降、決して官途につかず、明治六年(1873)に『郵便報知新聞』(のちの報知新聞)に入り、小栗の主張にもとづいて国論の統一と国防第一主義を唱えました。小栗の国策の一端が、言論の場で引き継がれました。

栗本の周囲からは、のちの政界を担う人材が育ちました。原敬・犬養毅・尾崎行雄――いずれも新聞記者を生涯の出発点とした人々で、栗本のもとで政治家としての素地を身につけています。なかでも犬養毅は、栗本を生涯「先生」と呼んで自らを「門人」と称し、明治二十五年(1892)三月には「栗本鋤雲先生伝略」を書いています。

横須賀製鉄所という「ものづくり」の構想と、新聞という「情報を伝える」構想。分野は違っても、社会の仕組みを新しくしようとする発想の根は同じところにありました。小栗の建議一覧には、このほかにも「外気燈」(ガス灯)設置、郵便・電信事業、江戸-横浜間の鉄道建設が並んでいます。新聞発行計画は、その並びのなかにこそ置いて読むべきものでしょう。

典拠:坂本藤良『小栗上野介の生涯』講談社、1987年/阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』海軍有終会、1941年

→ 栗本鋤雲 ― 蝦夷から幕閣、生涯の友

→ 福澤諭吉と榎本武揚

→ 米国紙が伝えた小栗評